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ボブ・ディラン!
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 オレが(勝手に)出逢って40年。
 ずっと聴き続けてきた。同じものを聴いても、年々聴こえ方が違っていった。派生してのさまざまな音楽、文学を知るきっかけとなった。

 中学生のオレはきっと、背伸びをして聴いていたのだろう。これはきっとよいものなのだから、わからなくてはならないから、と。
 でも、ただそうではなかったかな。確かな輝きがそこにあることは、理屈を越えて伝わってきたから。それがすご過ぎて、いっぺんには許容できなかったのだろう。
 そこには確固としたきびしさがあった。だからこそ、それは未だに新たな輝きを見せてくれるのだ。(それは今現在も)
 そして、そんな強烈なものの表面的な模倣、猿真似はしてはならない、と思った。そのこと自体も学ばせてもらった大切な姿勢の一つだ。

 初来日はオレが高校2年の終わり頃。地方のガキには行くことはかなわなかった。
 そこからの歴史、幾度かの来日もタイミングが合わなかった。前回は初の日本でのライヴハウスツアーということで、これは是非行かなくては!と思ったが、あっという間のソールドアウトで、ああ、オレは一生この人のライヴを観ることはできないのだなと思った。それはそれでよいとも思った。この人からもらったものはそれでもあまりあるものなのだから。
 オレが40代半ば、実感したことを彼はちょうど公開になったドキュメント映画の中で語っていた。「到達点などないんだ。いつも経過点なんだ。それがわかっていれば大丈夫だ。」大先輩の彼がオレと同じことを言っている。それでもう充分だと思った。

 それが今回、ひょんな縁で4月1日の東京台場Zepp Diver Cityでのチケットが回ってきたのでありました。

 行くにあたって何にも考えないことにした。前日になるまで忘れていた(わざとだと思う)。

 アタマを空にして客席に立っているとオンタイムで客電が落ち、至福の時が始まった。
 よくないわけはないだろうとは思っていたけれど、ここまでいいとは!
 彼の声のしなやかさ、ふくよかさ、力強さ、繊細さはこうして(広いとは言うものの)同じ空間で生(ライヴ)として聴かないと全部は把握できないのだと知った。レコード、CDはもちろん素晴らしいのだけれど、そこにはおさまりきらない響きがあるんだ。
 彼を含めてのバンドサウンドがまた、本当に素晴らしかった。
 彼はギターを1曲も弾かなかったけれど、充分だった。3分の2ほどの曲でピアノを弾いたが、それが素晴らしかった。必要最低限の音、そして選ぶ音のセンスは絶妙にバンド全体のサウンドと溶け合っていた。
 休憩を挟んでの2ステージ。アンコール2曲はあっという間だった。
by teradamachi | 2014-04-02 20:49
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