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つれづれ
 ここのところなんだかブログを書くモードになれなくて、せっかくこんな場所を堤供してくれている管理マン、ヤマグチコージにははなはだ申し訳ないです。
 が、ここ数日何度も書きかけてはいたのですよ。で、俺の性格だと、せっかく書くんだから、なるべくまとまった面白いものを、と思うものだから、なんだか途中で「これはダメだなあ」とやめてしまった数日。(旅の間はなしくずし的にそんなこと考えずに書けるときに書いてしまえるのですが)まあ、管理マンもみなさんも俺のブログにそんなにも期待をしてくれてるわけでもないでしょうから、楽に書けばいいのでしょうけどね。生来の真面目さと(笑)見栄っ張りが災いしてるってことでしょうか。
 で、9月1日からいきなり涼しいというより肌寒いくらいの東京。そして翌2日はまさしく俺の大好きな感じの秋晴れの気持ちのよい日。今日など昼頃目覚めたときの秋の陽射しがうれしくて。先日愛媛のギャル(笑)から送っていただいたコーヒー豆をミルでごりごり挽いて、芳しい香りを満喫しながらしっかりいれたコーヒーはまさしくしあわせな味でありました。こんなときはもちろん素敵な音楽をかけております。本日はやはり先日神奈川方面の小動物的元ギャル(笑)からいただいた(いただいてばかりいるなあ・笑)リリースされて間も無いジョニー・キャッシュの最後の最後のレコーディングアルバム。死ぬまでちゃんと歌おうとあらためて思わせてくれる素晴らしい作品(晩年の彼の作品はみんなそうなんだけどね。)
 そして夕方、ちょっと街へ出て空を見上げるとうろこ雲、あるいは羊雲。どっちの呼び名がいいかなあ、なんて思いながら。汚れたこの都会の夕焼けの色が大好きだ。
 そして帰ってボブ・ディランの新譜を聴く。65歳の歌声のなんて素敵なこと。この人は常に変わりつづけている。根っこを深く張りながら。俺もそうありたいと思う。
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# by teradamachi | 2006-09-03 04:32 | Comments(6)
Summer's Almost Gone

 夏の終わりは寂しく切ないけれど、秋を迎えてゆくときの寂しさや切なさは好きだ。
 自分がこの先どんな風に生きてゆくのかなんてまるでわからなかった思春期の秋。不安とないまぜの期待感。そのどちらも何の根拠もないものだったけれど、その胸の震えだけは確かなものだった。友だちといるのも好きだったけど、一人でいるのも好きだった。ある瞬間はとても自分が特別な存在にも思えたし、当然その裏腹にどうしようもなく駄目な人間にも思えた。ようするにどこにでもいる少年〜青年であったわけだ。
 ずっと歌のことばかり考えていた。いつか歌を歌える人間になりたいと。でも一方でそんなことは無理なんだと自分に言い聞かせようとしていた。でもいつしか歌いたい俺の方が勝ってしまった。わがままなだけなんだろうけど。
 俺がドアーズに夢中になったの高校3年生の秋。ジム・モリスンが死んで7年も経ってからだ。ジム・モリスンの英語はガキの俺にもがんがん、そしてしみじみダイレクトに響いた。
「Summer's Almost Gone」
 夏の終わりになると必ず聴きたくなってターンテーブルの上にドアーズのアルバム「Waiting For The Sun」をのせてしまう。近年普段はドアーズを聴くことはめったに無いのだけれど。
 そんな影響だろう、俺のバンド時代の曲に「夏はもういっちまった」というのがある。そしてやはり近年の俺の作品「旅をつづけなくちゃ」の一節『夏は過ぎたと誰かが歌う』とあるのもたぶんそのせいだろう。もちろん聴いていただける人が誰の歌をそこで思い浮かべていただいてもかまわないのだけどね。(さだめし管理マン、コージなんかはキャロルとかね・笑)
 あれから30年近くたって今まだ歌のことばかり考えて、しかもそれを生業としている俺がいる。部屋のステレオからはジム・モリスンの声が。「夏が去ったら僕らは何処にいるのだろう?」
 

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# by teradamachi | 2006-08-27 04:43 | Comments(6)



旅する歌唄い“寺田町”。 旅をつづけなくちゃ...